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第2話 物置部屋の夜

Author: marimo
last update publish date: 2026-06-06 23:03:36

次の瞬間、頬に衝撃が走った。

「口答えするな!!」

視界が揺れ、体が傾く。

床へ倒れ込んだ拍子に、テーブルの脚へ肩をぶつけた。

鈍い痛みが走る。

けれど俊哉は、そんなこと気にも留めなかった。

「お前さ、最近調子乗ってるよな?」

「誰のおかげで生活できてると思ってんだよ」

怒鳴り声が、耳の奥で反響する。

昔は、こんな人じゃなかった。

少なくとも、ひかるはそう信じていた。

仕事で失敗して落ち込んでいた夜、

「お前がいてくれるだけでいい」

そう言ってくれた男だった。

雨の日、傘を差しながら、

「風邪引くなよ」

と肩を抱いてくれた人だった。

でも。

その優しさは、いつの間にか消えていた。

倒れかけたひかるを見て、玲奈が小さく息を吐いた。

「ごめんなさいね……」

その声音は申し訳なさそうなのに、

目だけは少しも謝っていなかった。

「婚約者がいるって、知ってたんだけど……」

意味ありげに俊哉を見上げ、玲奈は続ける。

「でも……運命の人に出会ってしまったの」

潤んだ目でそう言う玲奈を見て、俊哉は優しく肩を抱き寄せた。

さっきまで怒鳴っていた男とは思えないほど甘い顔だった。

「玲奈……お前は本当にかわいいな」

その光景を見た瞬間、

胸の奥で何かが崩れ落ちた。

ああ。

もう、終わっているんだ。

自分は最初から負けていたのだと、ようやく理解した。

玲奈は、そんなひかるの表情を見ていた。

そして心の中で思う。

(この人、まだ俊哉を愛してるのね)

それが分かったからこそ、玲奈は安心した。

同時に、少しだけ苛立った。

(だったら、もっと惨めになればいい)

そして俊哉は、冷え切った目でひかるを見る。

「お前の部屋は、玲奈に譲れ」

「さっさと荷物を運び出せ」

腕を強く引かれ、体がよろめく。

骨が軋むほど痛い。

「私に、どこへ……」

かすれた声で抗議しようとすると、

「家政婦は物置に決まってるだろ!!」

怒鳴り声と同時に、再び小突かれた。

ひかるは何も言えなかった。

言い返したところで、また殴られるだけだと知っていたから。

床に倒れたひかるは、ゆっくり立ち上がる。

寝室へ向かう足取りは、自分のものではないみたいに重かった。

部屋へ入ると、そこにはまだ、自分の匂いが残っていた。

俊哉と並んで眠ったベッド。

休日に映画を観た夜。

熱を出した俊哉を看病した夜。

将来の話をした夜。

全部、この部屋だった。

なのに今は、

他人の女へ明け渡す場所になってしまった。

クローゼットを開ける。

けれど、自分の荷物は驚くほど少なかった。

数枚の洋服。

洗面道具。

古びたポーチ。

それだけ。

三年間一緒に暮らして、

自分にはこれしか残っていないのかと思うと、

涙が出そうになった。

リビングから、笑い声が聞こえる。

俊哉と玲奈だった。

まるで、最初から自分など存在しなかったみたいに。

ひかるは静かに荷物を抱え、

一階奥の、物置代わりに使われている小さな部屋へ向かった。

ドアを開けた瞬間、黴臭い空気が鼻を刺す。

窓は小さく、薄暗い。

段ボール箱と古い家具が隅に積まれていた。

布団も薄い。

冬の冷気が、床からじわじわ伝わってくる。

ベッドに座り、壁を見つめる。

ここは、私の家だったはずなのに。

――でも、もう違う。

私は、ここにいてはいけない存在になったのだ。

黴臭く、埃の舞う部屋。

冷たい布団に身を潜めたひかるは、

俊哉と出会ったころからの記憶が、

走馬灯のように浮かび上がってくるのを止めることができなかった。

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